十勝の農業
昼食を取ってのんびり一息ついた頃にはもう日が傾き始めます。それに追い立てられるように、冷えた空気の中に絶え間なくエンジン音が響きます。この寒さでも青さを失わないビートの畑を、土にまみれた赤いトラクターが行ったり来たり。その後ろには裾を幾重も引いた日高山脈がそびえます。広い十勝平野の端には、墨絵と油絵を組み合わせたような独特の景色がありました。
先日、十勝の農業について話し合う場がありました。どうしたら資源を有効に活用できるか、資源を安全に環境中で循環させるにはどうしたらよいか、生産物の正当な価値を認めてもらうにはどうしたらよいか。そんな議論を終えた後の帰り道、パッチワークに染まった晩秋の平野を眺めながらふと思いました。豊かな自然の恵みを、私たちは当たり前のように享受していますが、それに見合うものを返せているのか、と。
自然界は無駄のない精巧なシステムでできています。生を受けたものはいずれ土へ還り、次の命の礎となります。気の遠くなるような長い時間を経て、地球は豊かな命のゆりかごとなりましたが、私たちはそのままでは土に還せないものを沢山創り出してしまいました。今はまだ、自然の余力の中でやりくりできていることも、このままではいずれ立ち行かなくなるということは、世界の例を見ても明らかです。
"自然の恵み"と言う時、私たちは無意識に享受することだけを想定しているのではないでしょうか。しかし、それと同じだけ、次の命につなぐものを還すということが、自然の理にかなっているはずです。人間から還ってきたものは、箸にも棒にもかからない、などと地球に思われるのは、あまりにも悲しすぎると思うのです。十勝の農業ひいては日本の農業について考えるということは、人間のあり方を見直すとてもよい機会になるのではないか、そう感じています。
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