炊いてみる
便利な世の中になった反面、失ったものも数え切れないほどあるでしょう。それは形のある物だけではなく、経験であったり感覚であったり形を成さないものも沢山あります。
毎日食べているご飯。日本中のほとんどの家庭には炊飯器があり、スイッチ一つで美味しいご飯が炊き上がる時代となって久しい今日ですが、キャンプに出かけたついでに、思い切って鍋とガスでの炊飯に挑戦してみました。
お米を十分水に浸してから、火にかけ、沸騰したら後はとろ火で、水気が無くなったら火を止めて蒸らす。そして、重要なことは、炊き上がるまで蓋は開けない。
文章で書いてしまえばせいぜい2〜3行の手順ですが、蓋を開けずに炊き上がりを判断することが、思った以上に難しいのです。火を止めるのが早すぎては水っぽく芯の残ったご飯になってしまい、遅すぎても焦げてカチカチになってしまいます。
香ばしい匂いがしたら、とか、ぷつぷつと小さな音がし始めた時が火を止める目安と聞いて、蓋を開けたい衝動を抑え、くんくんと匂いを嗅いでみたり、鍋に耳を近づけて音を聞いてみたり、全神経を小さな米粒に注ぐこと30分。
しかして結果は、鍋底に少々おこげの入ったご飯がほっこりと炊き上がり、カレーとともに美味しくお腹に納まりました。
本当にご飯にこだわる方は、土鍋を使ったり、藁でおこした火で炊いたりするそうです。でも、炊飯器のない時代は、焦げ付かない鍋でなくても、火力調整が容易なガスでなくても、私のように神経を尖らせなくとも、誰もが当たり前にできたことだったでしょう。何もかも、昔のように自分の手で作れないといけないとは思いませんが、日本人である私達が、ご飯を機械頼みでしか炊けないということは、実は、とても残念なことのように思います。
自分の手で作りあげることは、そのものとの真剣に向き合うことと同じです。そんな経験は、ものを大切にする気持ちだとか、作ってくれる人への感謝につながる気がします。
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