母の姿
近頃、駐車場のアスファルトの上で、オニグルミを割るカラスの数が増えました。少し前までは1羽だけだったのが、近頃は3羽が一緒になって高い位置からくるみを落とし割っては、皆で食べています。私がすぐ近くを歩いていても、不思議そうに顔を見上げる仕草からすると、子供のカラスが混じっているようです。木々の若葉が出始める前、まだ丸見えだった巣からは、卵を温めている母ガラスの尾がよく見えていましたが、その子供たちが無事に育ち、クルミの食べ方を教わっているところなのかもしれません。
グリーンパークの池では、今年もマガモやカルガモの子育て風景を見ることができます。顔も体もまだ可愛らしい雛ですが、草についている餌を探してはついばみ、毛づくろいもまんべんなく、すっかり大人と同じように一丁前の顔つきをしています。でも、やはりまだまだ気温の変化には弱く、少し日が陰ると、次々と母親の暖かな羽の下へ潜り込んでゆきます。そんな姿は本当に微笑ましく、眺めて飽きることがありません。
それにしても、どちらを見ても母の眼差しは優しい。外敵に立ち向かうことはあっても、子供達に怒りを向けることは決してありません。かと言って、池から陸に上がれない雛がいても、力を貸すようなこともありません。生きるための方法を教えはしますが、甘やかすことはせず、子供たちが自ら力をつけていくのを見守っているだけのように見えます。そして、時が来れば否応なく親と子のつながりを断ち切り、子供たちを頼るもののいない世界へ放り出します。それは非情なようではありますが、こうして確実に次の世代へ生きる力が受け継がれていきます。
人間の世界はどうでしょうか。自分が親の立場であるかどうかに関わらず、集団の中で生きている私たちには、誰もが、次の世代へ生き方を教える責任を負っています。自分の背中は安心して着いてこられる背中なのか、凍えるときには暖めてあげられる懐なのか、生きる力を信じて突き放すこともできるのか。自然に生きる母親たちの姿には、本当に大切な、大人としてのあるべき姿があるように見えます。
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