雲をみて
外を歩くようになって、よく雲を見るようになりました。見渡す限り真っ青な空も潔く爽快なものですが、そこにどこからともなく流れてきたひとかたまりの白い雲が、空の表情をより豊かにしてくれることがよくあります。もくもくと立ち上がるように大きくなる雲が近づいてきたら、雨を警戒しながらも、ついついその力強さに目はくぎ付けになってしまいますし、どんよりした雨の中を走り続けたらいつの間にか青空の雲海の上に突き抜けて驚いたこともあります。太陽の姿が見えなくても、雲の色が少しずつピンクやオレンジ色に変わる様子で、日の出を知ることができます。雲の流れる様は、地球のダイナミックな動きを映してくれる鏡のようです。
8月最後の日、夜も明けぬ時間に、避難勧告を知らせる拡声器からの声で目を覚ましました。窓を開けると、薄暗い闇の奥からごうごうと得体の知れぬ音が響いてきました。札内川までは1キロほどの距離があり、それが増水した川の轟音だとは、すぐには気付きませんでした。そして、気づいた途端、恐ろしさがこみ上げました。何事もなかったからから良かった、などとはとても言えません。どんな状況になっていてもおかしくなかったに違いないからです。
雲を見上げ、風を肌で感じることは、地球を知る手掛かりのひとつだと思います。どれほど天気予報の精度が上がったとしても、目の前の判断の全てを委ねることはできないでしょう。よく見える目を、よく聞こえる耳を、そしてしっかり歩ける足を授かっているなら、自らの目で周りを見て、自らの頭で考え、自ら動かなければなりません。それは生き物として当たり前のことです。でも、頭上の空を仰いでみても途方に暮れるばかりで、テレビやネットからの情報に頼らざるを得ないという自らの非力さを、痛いほど実感した1週間でした。
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