ラジオ
先日、他愛もない会話から、ラジオの話題となりました。私が近頃手にしたのは、ラジオの機能しか持ち合わせていない製品です。ポータブルのラジオであればいざ知らず、CDを再生することもできなければ、Bluetoothの機能もなく、電源、音量、そしてチューニングの3つの手回しつまみしかもたない据え置き型のラジオを、今頃どうして買う気になったかはさておいて、このラジオが何やら面白いのです。
つまみで丁寧にチューナーを合わせても、蛇口から水が流れるとザーとノイズが入ります。パソコンが起動するときにもザー、電子レンジのスタートボタンを押してもザー、といった具合です。どうやら、家中の音を集めているようです。そして、再度チューニングを合わせようと近寄ると、さきほどまでのノイズが嘘のようにクリアな音に変わったりします。人がアンテナ代わりになって電波を集めるからだと理屈は分かっていても、親にかまってほしい子供のような振る舞いに、可愛いやら苦笑いやらです。
思えば、ただラジオを聴くだけならば、今はパソコンでもスマホでもできる便利な世の中です。そして、きっとその方がチューニングのストレスもなく、きれいな音質で聞くことができるはずです。写真も同じです。デジタルの方が、フィルムよりも圧倒的に利便性が高く、隙のないきっちりとした写真が出来上がります。でもそこには何かが足りない、といつも感じていました。それはきっと、遊び、なんだろうと思うのです。便利で、使う側が何も考えなくても良いものが提供されるということは、人間が技術に求めてきたもののはずです。しかし、その一方で、自らが手を動かしたり、考えたりできる隙=遊びのないものに対しては、物足りなさや飽きを感じてしまいます。近頃、若者の間でテープレコーダーやフィルムカメラが人気となった現象を見ても、便利なものが必ずしも私たちの心を満たしてくれるとは限らない、と言えるかもしれません。
そして、それは私たちの仕事にも共通したものがあるように感じます。排水処理の施設を機械的に自動化することはできても、よりよい処理には人間の力が必要です。同じ施設であっても、管理をする人によって、処理の具合が変わってくるというのも、皆、現場で実感していると聞きます。そこが腕の見せどころであり、誇りをもつところであり、面白いと感じるところなのでしょう。それを、施設を導入してくれたお客さまとも共有できれば、私たちのシステムはより愛されるものになると思うのです。
さて、ラジオの話へ戻り、当社で最も機械に精通しているベテランの社員は、自称ラジオ好きとのこと。身の回りにあるラジオの数を数えていったら、どうやら10個を越えているようです。私がラジオのあれこれを語るのはまだまだ早い、かもしれません。
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