育む
あっという間に桜が過ぎて、新緑の季節を迎えました。太陽も風も雨も虫たちも、全てを味方につけてぐんぐんと葉を広げていくエネルギーには、いつも目を見張るものがあります。
いつもの休日はもっぱら野山を歩くことが多いのですが、連休はなかなか機会のない海辺で過ごしました。小さな川と海が交わる汽水域を毎朝毎夕歩いては、魚たちの群れを眺めていました。満潮干潮の時刻が一日50分ずつずれていけば、毎日同じような時間に散歩をしていても、前日とは全く違った様子を見る事ができます。同じくらいの水位のときでも、潮が満ちていく途中では少し濁りのある海の一部となり、潮が引いているときは透き通った山からの川となり、その中を魚たちが遡ったり下ったりしています。
海側から眺めていると、川の水が流れ込む辺りに、とりわけ魚が集まってくることに気づきました。しきりに岩底をつつき、皆食事に夢中です。干潮時には足首ほどの深さしかない川でも、貴重なミネラルや栄養分を運び、海藻や小さな虫たちを育てているのでしょう。海を豊かにするのは山で、川がそれをつないでいると言われていますが、それをそのまま絵にしたかのような場所でした。
広い十勝を流れる川たちは、どんな栄養を海へ届けているのでしょう。少し前、昨年の台風被害を受けて、河畔林の伐採を推進するという新聞記事を目にしました。一方で、昔の人たちは、氾濫後にもたらされた肥沃な土地を、水田に利用していったという記事も読みました。自然の脅威に備えることと、豊かな自然を育むこと、これらを共存させることはそれほど難しいことなのでしょうか。私たちの知恵を集めれば、それほど難題ではないようにも思えるのですが。
2017年05月08日
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