不便さを楽しむ
最近は、十勝にも身一つで訪れてもアウトドアが楽しめるような、設備や道具が一式整った豪華なキャンプ場があるという新聞記事を見て、先月、キャンプを開催したばかりの社内で話題になりました。そこで若い社員の一言。「キャンプは不便さを楽しむものだと思っていました。」確かに!
テントを張って、周りの人たちがどんな風にキャンプを楽しんでいるのかを眺めていると、中には驚くほど少ない荷物で、でも見るからに選び抜かれた道具ばかりに囲まれて、ゆったりとした時間を過ごしている人たちがいます。当時、必要だと思うものを片っ端から買い揃えたゆえに、大量の道具の運搬だけでも疲れてしまっていた私には目から鱗で、それはとても洗練されたキャンプに映りました。以来、荷物を絞って身軽になってみると、その効果は準備や片付けの労力を軽くした以上に得るものがありました。
テレビもオーディオ機器もないので鳥たちのさえずりをBGMに本を読み、ストーブがないので薪を集めて暖をとり、近くに湧水があれば水を汲みに行き、地元の美味しい野菜がないか気になったり、弾いたことがないのにギターでも奏でてみたい気持ちがわいてきたりします。以前にはなかったような、楽しいことややってみたいことが沢山浮かぶようになったのです。
人はあっという間に便利さに慣れてしまい、それがないと生活が立ち行かなくなるような気がしてしまうものに囲まれて暮らしています。でも、実は不便さにも、人は存外うまく対応していけます。無ければ無いで他のものを代用することも、あきらめて他へ考えを向けることもできます。そして、不便さからできた隙間には、新しいことが舞い込んでくる可能性が生まれます。あえてそんなことを繰り返していくと、本当に必要なものを見極める目が鍛えられていくような気がするのです。不便さを楽しむ、いい言葉です。
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