空を仰ぐ
街路樹のナナカマドは、たわわについた実が赤くなるにしたがって、重たそうに枝が垂れ下がってしまいます。でも山のナナカマドは、マラカスみたいに軽快なオレンジ色の実を、どんな時も空に向けています。緑がひしめき合う山は、種の運び屋をいかに引き寄せるか、植物たちの戦いの場です。いつもうつむいていたのでは、空からやってくる鳥や虫たちに、見つけてもらえないのでしょう。
連休中の定番となった草取りをしながら、学生時代の授業を思い出していました。「植物と昆虫では、どちらの種類が多いか?」という問いに、漠然と「植物の方が多そうだな〜」と考えていたら、「一本の草に集まる虫の様子を想像してみなさい」と先生からヒントがありました。なるほど、答えは単純明快でした。
見事に育った草を刈り取ると、小さなイモムシから丸々としたイモムシ、ワラジムシ(昆虫ではありませんが)やらアブラムシなど、宿る場所を失った虫たちがわらわらと散っていきました。近頃は気温が10度台の日もあり、宿敵の吸血昆虫の数はずっと減ったため、作業にも気持ちにもゆとりがあります。地上の虫たちの騒ぎが収まるまで手を休めながら、今となっては、昆虫種が植物より3倍以上も多いことより、これほど他の動物たちを集められる植物の生き方の方が感心だと思い至ります。
大地にしっかりと根を張り、太陽の傾きを、風のにおいを、虫たちの目覚めを感じ、雨の訪れを、花を咲かせるべき時を、葉を散らせる時を見定め、身を削りながら他の生き物たちを育み、自分たちの命もつないでいく。やり方は違っていても、目指すべきところは私たち動物もそう違ってはいません。だからこそ、自らは動かずとも、多くの者の生かしながら目的を果たすという彼らの戦略は、今私たちが改めて学ぶべき視点なのかもしれません。
- カテゴリ
- 今週のヒューエンス
- 更新日
- 閲覧数
- 840