エゾライチョウ
冬至が近いこの頃は、終業時刻にはもう外は真っ暗です。帰宅して車を停めようとした時に気づきました。ライトが照らした暗闇の奥に、鳥らしき影が動かずにあることをです。ハトと同じぐらいの大きさに、少しずんぐりとした姿を認めて、まさか・・・と思っていると、そのまさかのエゾライチョウでした。
エゾライチョウと言えば、山奥でも稀にしか出会えない鳥という認識がありましたから、何度も図鑑と見比べて間違いないと頭で理解された後も、住宅街の真ん中で見つめているこの状況を、にわかには信じることができませんでした。
鳥の専門家に見てもらうと、今年生まれた若いオスで、何かにぶつかったことが原因だろうとのこと。そして、消化管には沢山のナナカマドの実が詰まっていたそうです。
この辺りには街路樹としてナナカマドが植えられていて、枝先がしなるほどたわわに実をつけた木も沢山あります。山の方は、今年もドングリが不作で、ヒグマの餌不足を危惧する新聞記事を見かけましたが、もしかしたらナナカマドも同じなのでしょうか。でも、一体どこから飛んで来たのでしょうか?私たちが気づかないだけで、ハトやツグミに混じって彼らも時々ナナカマドを食べにやってきているのでしょうか?
この小さな命の終わりは、様々な想像をもたらしてくれました。彼が最後を迎えた原因が、人間によってもたらされた可能性は否定できず、それは、魚の小骨のように喉につかえたままです。でも、その一方で、日常のこんなすぐそばにも驚きの種は生まれていて、ちっぽけな常識など軽々と飛び越えていくのだということも教えてくれています。身近なところに新しい発見!がテーマになった2020年も終りにさしかかった今、その奥深さを、このような形で再認識することになるとは、思ってもみませんでした。
写真は、人生の中で唯一とらえたエゾライチョウの輪郭です。だまし絵のように森にとけ込む姿は、ピント合わせに手間取っている隙に、あっという間に消えていました。好奇心と臆病とがせめぎあった視線を向ける姿は、何かとても愛らしかったのを覚えています。彼らが時々訪ねてきているかもしれないと思うだけで、毎日の景色がちょっとだけ変わる気がします。
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