道産子の言葉
生粋の道産子たちと、道内各地の美味しいものや、次にどこへ行きたいかという話で盛り上がった時、「生き物が好きなので、どうしても道内より南の地域にばかり目がいってしまう」と言う社員がいました。その気持ち、分からなくもありません。暖かい地域を旅すると、鳥や魚、蝶や花など、生き物たちのむんむんと漂う気配を感じて、気持ちが高ぶってしまうのは私も同じだからです。でも、だからと言って、北海道にその魅力がないと思ったことは一度もなかったので、彼の言葉に少し面食らったのも事実です。
北海道の生き物の密度は、南国のそれとは違っているのでしょう。冬は特にその差が顕著で、見ようによっては、生き物の気配を感じられない酷寒の原野ばかりが広がっているようでもあるのかもしれません。でも、吹雪が峠を越した次の朝、驚くほど沢山の足跡が、キラキラとした新雪の上に残されているのを見ると、いつもまぶしくて仕方がないのです。あの嵐を耐えた動物たちが、こんなにいるのだと知ることができるからです。
確かに、生き物の姿を探し出すことは、ここではそう簡単なことではありません。知識と、忍耐と、幸運とがかみ合わないと、出会えない生き物もいます。でも、その分、それぞれの生き様を垣間見ることができるような気もするのです。獲物の足跡を追い、雪の中からの音に神経を集中させるキタキツネの姿、渡り鳥たちの様子を遠くからじっと見定めるオオワシの姿、真っ白な大地で羽を休めるヒシクイの姿。目移りするほどの生き物の楽園では、きっと埋もれてしまうだろう一場面に、足を止められる余白が、この大地にはあるのです。それを当たり前のように育ってきた生粋の道産子たちを、にわか道産子が「実に贅沢だ」とうらやましく見ていることに気付いているでしょうか?
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