物言わぬ相手
ミヤマオダマキは、高山植物としては平地でも育てやすい種として、広く親しまれているようです。繁殖力は割と旺盛で、庭先で何株もまとまって、膝丈以上に伸びた茎の先に、青紫の花を沢山咲かせているのを見かけることがあります。
山の上で彼らを見かけると、せいぜい10センチぐらいの背丈の先に、高山植物の中では大振りの花が一つもしくは二つ咲いているぐらいです。葉は、石ころだらけの地面に、せめて埋もれまいと、小さいながら必死に広げているように見えます。庭先で見るようなのびのびとした姿とはいかにも対照的で、にわかに同じ種だとは思えません。
育つ環境によってこうも立ち姿が変わるのかと思うと、複雑な気持ちになります。色や可憐さという点では、高山での姿の方が美しいと、つい思ってしまうからです。でも、それは植物の生存にとっては厳しい環境です。のびのびと育った平地のミヤマオダマキたちを見ると、こちらが本来の姿なのか?とも思ってしまいます。
よくよく考えれば、どちらも本来の姿であることには変わらず、また優劣がつくものでもありません。種が落ちて、根を張った場所が違っていただけです。でも、つい、自分の見たい姿、思い描く姿を基準に、自分は好き嫌いで見てしまうのだなと思い知らされます。その身勝手な思考が、知らず知らずに彼らを追い込むような行動につながってしまってはいないでしょうか。彼らの姿は、いつも私たちに問いかけているように見えます。美しさとは、美しさに隠れているものとは、もの言わぬ相手だからこそ、そんな大きなことをいつも考えさせられます。
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